塩田平~丸子~小諸

田んぼの中を縫うように走るひとすじの道は、信濃守護塩田北条氏と鎌倉幕府を結んだ鎌倉街道とよばれる。この地に鎌倉文化が開け、山際には古寺が並び立っている。その中に客番の北向観音堂がある。善光寺が来世への利益、北向観音が現世での利益をもたらすとされ両方を参詣しないと「片参り」になるとされる。次に訪れるのは依田川の西にある23番宝蔵寺で、切り立つ岩山の中腹に食い込むように立つ朱塗りの観音堂が印象的だ。28番龍福寺は依田川に架かる腰越橋のたもとを南に折れ、集落のはずれの参道を登り切った雑木林の中に、ひっそりと建っている。「布引観音」という名で広く親しまれるのが29番釈尊寺。圧倒されるほどの岩がそびえ立つ中を歩いて観音様とご縁を結ぶことができたときの感慨はひとしおである。

鎌倉街道エリア地図

札所紹介

客番札所
北向山
北向観音堂
北向観音堂の写真
ご本尊名
千手千眼観世音菩薩
ご本尊愛称
北向観音
宗派
天台宗
所在地
〒386-1431 上田市別所温泉1656
TEL
0268-38-2023
web
https://www.kitamuki-kannon.com/
駐車場
観光協会駐車場(有料)
開山・開基
慈覚大師円仁(天長2年825)
ご詠歌
いくばくの 人の心を 澄ますらん 北向山の 峰の松風

本堂が北に向いている全国でも珍しい寺で「北向観音」として親しまれている。善光寺が来世利益、常楽寺が現世利益をもたらすとされ、両寺に参詣しないと「方参り」になるとされる。天長二年(825)、別所温泉を開いたとされる慈覚大師円仁によって創建され、天台教学の道場であり信仰の霊場として今日に至る。厄除観音としても信仰を集め、護摩祈祷が毎日行われている。

23番札所
龍洞山宝蔵寺
宝蔵寺の写真
ご本尊名
聖観世音菩薩
ご本尊愛称
岩谷堂観音
宗派
浄土宗
所在地
〒386-0412 上田市御岳堂84
TEL
0268-42-2561
駐車場
参道口
開山・開基
慈覚大師円仁(承和元年834)
ご詠歌
宝蔵寺 見上げてみれば 岩谷堂 峯の松風 谷川の音

承和元年(834)、天台宗の高僧・慈覚大師が信濃巡礼の折、この地で一本の柳の木から三体の観音像を彫刻された。その際、柳の胴の部分でつくった像をここに奉安したのが開基といい、「柳」「胴」に通ずる龍洞山と号したと伝えられる。頭の部分に刻んだ尊像は28番札所の龍福寺に、根本の部分に刻んだ尊像は平等寺に安置したという。切り立つ岩山の中腹に食い込むように建つ朱塗りの観音堂で知られる。本尊さまは、以前本堂奥の洞窟に安置されていたことから「岩屋堂の観音さん」と呼ばれており、遠方からも参詣客が絶えない。

28番札所
龍頭山龍福寺
龍福寺の写真
ご本尊名
聖観世音菩薩
ご本尊愛称
鳥羽堂観音
宗派
元天台宗
所在地
〒386-0403 上田市腰越向井1186
ご朱印はこちら
〒386-0403 上田市腰越81(全芳院)
TEL
0268-42-2196
駐車場
参道口付近。
開山・開基
慈覚大師(承和元年834)
ご詠歌
鳥羽の山 登りてみれば 龍福寺 田子の浮き舟 松風の音

承和元年(834)、天台宗の慈覚大師の創建にして、大師が手ずから刻んだ観音像が本尊と伝えられる。伝説では、信濃錫巡中の大師がこの地を訪れた際、土地の民を苦しめる龍を封じるため、沼のほとりで修法を行ったところ、功徳を得た龍の昇天とともに霧が晴れ、柳の大木が現れた。その柳を伐って、木の上部でつくった仏像が、当時の聖観音という。

29番札所
布引山釈尊寺
釈尊寺の写真
ご本尊名
聖観世音菩薩
ご本尊愛称
布引観音
宗派
天台宗
所在地
〒384-0071 小諸市大久保2250
TEL
0267-23-0520
駐車場
崖下参道登り口(大型可)
開山・開基
行基(神亀元年724)
ご詠歌
望月の 御牧の駒は 寒からじ 布引山を 北と思へば

牛に化身した聖観音に白布を奪われた老婆が、善光寺まで追いかけて仏教に帰依するようになったという「牛に引かれて善光寺参り」伝説ゆかりの寺院である。寺伝によると神亀元年(724)、僧・行基の創建で、本堂のほか花成寺、額願寺、真福寺、一宝寺、神興寺、慈現寺の六ヶ寺が岩窟に伽藍を造営。懸崖に建立した観音堂を中心とする仏道修行の聖域だったとされる。朱塗りの観音堂は鎌倉時代の様式をよく伝えており、建築・美術史上きわめて貴重とされ、国の重要文化財に指定されている。

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