諏訪~伊那
南信地方に位置する札所は24番の阿弥陀寺と22番仲仙寺の二カ寺であるが、ともに名刹である。
阿弥陀寺は甲州街道沿いに唯一位置する札所で岩窟の岩屋堂に十一面観世音菩薩をまつっている。また岩屋堂から諏訪湖を眺める景色も絶景だ。
伊那の仲仙寺は「羽広の観音さん」として親しまれている。そして「馬の観音様」としても古くから親しまれ、「千匹馬」の絵馬をはじめ幕末から明治期にかけて奉納された多くの絵馬が残されている。
Area - Koshu-kaido・ina-kaido
南信地方に位置する札所は24番の阿弥陀寺と22番仲仙寺の二カ寺であるが、ともに名刹である。
阿弥陀寺は甲州街道沿いに唯一位置する札所で岩窟の岩屋堂に十一面観世音菩薩をまつっている。また岩屋堂から諏訪湖を眺める景色も絶景だ。
伊那の仲仙寺は「羽広の観音さん」として親しまれている。そして「馬の観音様」としても古くから親しまれ、「千匹馬」の絵馬をはじめ幕末から明治期にかけて奉納された多くの絵馬が残されている。
文禄4年(1595)、下桑村の念仏行者・河西浄西が開基し、尾張の弾誓上人が諸国を修行行脚の折、仏道修行の道場となしたと伝えられる。開基当時は裏山の岩窟に十一面観音をまつるのみの道場であったが、諸国から多くの行者が集まるようになり、堂宇が充実。現在も浄土宗の修業道場として名高く、仏道を志す若い僧が修行に明け暮れる姿が見られる。近代の名僧、辨栄も修行した。本堂の左手にそそり立つ岸壁の中程にある懸崖造りの建物が岩屋堂で、この奥に十一面観音を安置し、子授けのご利益が信じられている。
弘仁7年(816)慈覚大師が霊夢を得てこの地を訪れ、山中に求めた霊木に十一面観音像を刻んで奉安したのが開基とされる。この時、木片のひとつに経文を書いて埋めたことから、仲仙寺の背後にそびえるその山を経ヶ岳と呼ぶようになった。その後、数度の火災に逢うも、堂宇を寄進した歴代飯田城主をはじめ地域の人々の篤い信仰心に支えられ、その都度再建して今に至っている。観音堂は豪壮な建築で、仁王門、山門、焔魔堂、本坊が並ぶさまは壮観。自然豊かな境内である。