穂高~南松本
信濃三十三観音霊場の多くは北信地方に点在しており安曇野・松本平には26番、25番27番の三カ寺のみとなる。しかしそれぞれに長い歴史と伝統を今日継承する名刹として日々参詣の足音が絶えない。
26番満願寺は安曇平の水田地帯を北に向った常念岳の麓に位置する。
25番盛泉寺は、北アルプスの山々を前方に見ながら波田町に入り、上高地に至る国道から1.7キロほど入った場所にある。
27番牛伏寺は松本平の東、鉢伏山中腹標高千メートル、深山幽谷の霊地というにふさわしい。
Area - Zenkoji-kaido(Matsumoto・Azumino)
信濃三十三観音霊場の多くは北信地方に点在しており安曇野・松本平には26番、25番27番の三カ寺のみとなる。しかしそれぞれに長い歴史と伝統を今日継承する名刹として日々参詣の足音が絶えない。
26番満願寺は安曇平の水田地帯を北に向った常念岳の麓に位置する。
25番盛泉寺は、北アルプスの山々を前方に見ながら波田町に入り、上高地に至る国道から1.7キロほど入った場所にある。
27番牛伏寺は松本平の東、鉢伏山中腹標高千メートル、深山幽谷の霊地というにふさわしい。
「信濃高野」の異称もある真言宗の古刹。寺伝によれば神亀年間(725)頃、現地の上方山中にある長者ヶ池から一寸八分の黄金の仏像が現れ、聖武天皇の勅願によって堂宇を建立の上、安置したのが始まりという。坂上田村麻呂が有明山の八面大王成敗の折、このご本尊に悪夢で秘策を授けられたといい、自ら刻んだ琥珀物を本尊体内に奉安したと伝えられる。参道の入り口にある「微妙橋」は、欄干、屋根付きの美しい太鼓橋で極楽浄土への結界をあらわしている。
梓川の河岸段丘上部、北アルプスの前衛をなす山のひとつ白山の麓に位置し、天文21年(1552)創建と伝えられる。ここから1.5キロほど山へ入った水沢山一帯には、かつて行基が創建したと伝えられる若澤寺があった。平安時代に坂上田村麻呂が安曇野の八面大王征伐に際し、この水沢観音の加護の下に勝利したことから、堂宇を寄進したとされる。壮大な伽藍と深山のおもむきから、江戸時代には「信濃日光」と呼ばれ、隆盛をきわめた。
眼下に松本平、遥か東に北アルプスの連山を望む深山幽谷の地に10万坪余りの寺域を持ち、信濃三十三番札所中最大規模の厄除け霊場である。寺の縁起によれば、天平勝宝7年(755)、唐の玄宗皇帝が善光寺へ大般若経六百巻を奉納する旅の途中、経巻を運ぶ赤・黒二頭の牛がこの地で倒れた。十一面観音の霊力を知った使者は経巻をここに納め、二頭の霊をまつったことから、寺号を牛伏寺としたという。国の重要文化財を8体有する文化財の宝庫としても知られている。